国際恋愛 「迷い」と「決断」
いつもブログをご愛読いただいております読者の皆さん、本当にありがとうございます。
そしてこの記事がはじめましての皆様、はじめまして。
私は、NZでのワーホリを終え、この冬イタリア人彼とまさかの同伴帰国をしたアラサー(気付けば33歳目前)のNatsumiです。
カテゴリーがワーホリブログ・ギリホリブログなので、それらに関して検索されて来られる方が多いかと思いますが。。
読者の皆さんはご存知の通り、「ワーホリ」というよりは「ホリ」に超特化。
なんなら「ワー」でも「ホリ」でも、なんなら「ワーホリ」かどうかも怪しい(ワーホリからスタートしたことだけは紛れもない事実、笑)、私の海外生活を約1年3か月にわたって綴っているブログです。
私の動きを地球儀に乗せて想像していただくとすれば・・
ワーホリでNZを訪れ、半年後にはオーストラリアへ飛び、気付けばシンガポールからの東南アジア6か国を巡り、挙句の果てにイタリアの家庭にお邪魔して3か月過ごし、イタリア人と一緒に帰国した。
まさかだらけの日々のハプニングなり日常なりを、私自身よくわからないままリアルタイムで書き綴って参りました。
初期からもしくは途中から後追いしていただき、私と一緒にこの旅にお付き合いいただいている読者の皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。
ちょうど今のタイミングでご報告したいことがありまして。
私がワーホリ中に経験した恋愛に関しての「迷い」と「決断」について書かせていただきます。
書き綴っていたら想像以上に長くなったので、お時間許される方にお読みいただけましたら幸いです。
ニコちゃんとの出会い
イタリア人彼ニコちゃんとは、NZを訪れてから9日後に出会いました。
ワーホリビザでNZを訪れた私は、8日間だけの宿予約をしていて、それ以外は全くのノープランでした。
居心地のいいバッパーだったので延泊しようとしましたが、満室で不可。
それなりに荷物も多かった私は長距離移動を避けたく、そのバッパーから一番近いホステルを探し移動。
そこで偶然(常に出会いは必然というけれど)出会ったのがニコちゃんでした。
当時の私の英語力は、ブログの名にかけて”日本語ONLY”!←ONLYって英語やんけーのツッコミください。笑
現役中学生に確実にスコスコに負かされるレベルでした(RightとLightの発音の違いを知らないのは勿論、thankyouとsorry乱用)。
しかしニコちゃんは、もはや謎解きレベルの私のカタコト英語を理解してくれようとしてくれまして。
ゆっくり翻訳機能を使ってくれたり紙に書いたりして伝えようと頑張ってくれました。
ニコちゃんもまた、自国からオーストラリアへ訪れていたワーホリ生。
6日間のホリデーを使ってNZに遊びに来て、3日目に私と出会ったそうです。
私たちはたった3日間しか一緒にいませんでしたが
「必ず連絡するから!!」
と名残惜しそうにオーストラリアへ帰って行ったニコちゃんは、それから毎日ビデオコールをくれるようになりました。
日本語ONLYの私にとって”電話で英語を話す”というのはある意味修行のようなものでした。笑
ただでさえ英語を聞き取れない私が電話だなんて・・小学生が高校生にいきなり飛び級したようなもんです。
彼は本当に毎日電話をくれ、1回1時間以上は話して。
いつからか、私の呼び方が「だーりん」に変わり、誰かに紹介してくれる時はガールフレンドに。
そんなナチュラルな流れで、「始まりから遠距離国際恋愛」という不思議な関係性スタート!
「3日間しかいなかったのに」なんて思う隙などなく、彼が私を想ってくれる気持ちは行動も含めて伝わりました。
私はたまたまそのホステルで、こちらから働きかけることなくハウスキーパーに推薦され即採用、6か月間。
1日1時間半のハウスキーピングをして家賃無料という、なんともラッキーすぎる展開で住居が決まり。
毎日のビデオコールで徐々にお互いを知り、深めていく時間でした。
慣れないNZでの生活でしたが、彼と話す時間がいつしか安心できる場所へ変わっていくのを実感しました。
突然始まったホステル生活は本当に楽しく、毎日異文化・異世界を発見できる出会いの場。
まるで天の誰かが選抜して宿泊させているのかと疑うくらい、個性溢れる素敵な人柄の子たちばかりが集まって。
多国籍の、一つの家族のような(私たちはビッグファミリーと呼んでた)関係性が構築されていったホステルメンバーたちに囲まれて生活を送っていました。
Tとの出会い
NZ生活にも慣れてきた4月のある日。
私は後にこのブログに登場するキーパーソンTと出会います。
タイミングを逃して書けていなかったのですが・・
イギリス人としてこのブログに登場したTですが、実はドイツ人だったという事実が後に発覚します。笑
ドイツ人のTは、世界中をまわるのが好きな旅人。
訪れた国は50か国以上!
彼は日本にも2度訪れていて、桜や有名観光名所の写真をたくさん見せてくれました。
Tは、出会った当初から私のことを「おかあさん」と日本語で呼びました(なぜ)。
英語ペラペラは勿論ですが、彼は言語取得能力が天才的にあり、日本語に興味を持ち始めるとすぐに読み書き出来てしまいます。
Tはwifiがあれば出来るウェブの仕事をしているので、心赴く場所へ身を置き、暮らしながら仕事をこなすスタイル。
しかも仕事は1日数時間とか、お休みの日も多かったりと、かなり自由なワークスタイル。
当初は2日間だけNZにいる予定だったそうですが、ビッグファミリーの住むこのホステルをとても気に入り、約1か月間ほど身を置くことになりました。
あ、Tがイギリス人と名乗っていたのは、
「3年半旅してると、自己紹介の時に出会った人に同じ質問を受ける。
いつも同じ回答をするのがつまらなくなったし、NZには2日間しかいない予定だったから、イギリス人になってみようと思って!笑
まさか延泊するとも、Natsumiたちとこんなに仲良くなるとも思ってなかったから。。
誰も疑わないから、逆になかなか本当のことが言えなくて苦しかった!!」
とこっそり言ってきたんです。
いやいや、私別にあんたが宇宙人だろうがなんら対応変わらないけどさ、それより・・
英語発祥のイギリス出身だと堂々と言えるその度胸に乾杯したわ!!笑
でも、本当に誰も疑わないくらい、クセのない英語を話すT。
彼は、英語力がゼロの私に、毎日飽きずに楽しく英語を教えてくれました。
彼の趣味は料理。
私の大嫌いなことも料理。
彼は誰かのために料理をするのが大好きな人で、私はもちろん、ビッグファミリーのみんなにいつもシェアしてくれていました。
どれもこれも心こめて作られているのがわかり、とってもおいしかったです♡
そのうち、私たちは自然と一緒にいる時間が増えていきました(お互い、時間があり余ってる同士)。
ごはんを一緒に食べるというか、全食作ってシェアしてくれる生活に。
私からすると、距離の近い兄弟みたいな、そんな感じでした。
彼が帰国する時はもう本当に本当に寂しく、明日からどうやって生活するんだ私??レベルの喪失感。
いつの間にかTは私の生活の一部になっていたんですね。
この時寂しすぎて落ち込んでいる私を、ビッグファミリーが励まし支えてくれたこと、今でも覚えているし感謝しています。
その3週間後、まさかの出来事が起こります。
地球の裏側から。
なんと、ドイツに帰ったTが、再びホステルに舞い戻ってきたんです!!
私だけは直前に聞かされていましたが、実際会った時の感動は忘れられません。
東京から大阪、レベルじゃないんですよ。
ほぼ地球の裏側から舞い戻ってきたんですよ。
そこからもうすごく自然な流れで、Tと私は「おはよう」から「おやすみ」まで時間を共有するようになってました。
2018年のワールドカップのほぼすべての試合を、TのPCで見ました(本当に毎日飽きずに見てた)。
お伝えしておきますが、Tははじめから私にイタリア人彼がいることは勿論知っています。
そして私の気持ちも、ニコちゃんがボーイフレンドでTは友だち。
Tが帰国している間に、私はニコちゃんからオーストラリアに行く航空券をプレゼントしてもらってました。
舞い戻ってきたTに、
「9月にオーストラリアに行くんだ!遂に行くんだー!」
なんて話もTにしたし、ずっと私はそのスタイルでした。
毎日ニコちゃんとビデオコールをしていたし、普通にニコちゃんの話もするし。
しかしTと私は本当に気が合い、毎日一緒に過ごしていて。
周りから見たら、絶対にカップルに見えていたと思います。
Tといえば私、私といえばT、みたいな感じで(だっていつも一緒にいるのが当たり前だったから)。
でも、日本みたいに告白文化のない環境。
「好きです付き合ってください!」
の一言がないのは勿論ですが。
私は、Tも私と同じように同士、みたいに、近い人だって思ってくれていると信じてやまなかったんです(今思えば、私が鈍感すぎたのかもしれませんが)。
あんなに誰かとケンカばかりしたのは、私の人生史上初のことでした。
後にも先にも多分ないだろうなってくらい、Tとは頻繁に、しょっちゅうケンカしていました。
「ケンカするほど仲がいい」ってよく言いますが、あながち間違っていないと悟りました。
お互いナチュラルにいるから、合うときハマるし、ぶつかる時もすごい。
私がカタコトの英語でぶわぁぁぁぁぁーーーー!!っと思いをぶつけ(もし当時の動画が残っていたら、爆笑モンだと思います。笑)。
Tはそのわけのわからない英語に対して正しい英語で真剣にぶわぁぁぁぁーーー!!!っとぶつけてくる。
私は、思いのすべてをうまく伝えられないフラストレーションも加味して、更に腹立たしくなって部屋を出て行く。
こんな意味不明な英語しか話せないのに激しい日本人に対して、彼はいつも真剣に向き合ってくれました。
わかるまで話そう、理解しようと時間を使ってくれました。
自分が悪いと思ったら、私の部屋に来て、素直に「ごめんね」と謝ってくれました。
だから頑固な私も、自分が言い過ぎたと思ったら、「ごめんね」が言えるようになっていました。
Tはまるでスーパーマンみたいな人。
私が風邪を引いたら、仕事中でも部屋を暗くして寝かせてくれて、ホットハニーミルクや栄養のあるごはんを作ってくれて。
私が銀行やSIMカードの手続きで困っていたら、困る前に電話をかけて英語でスムーズにやり取りしてくれて。
私が「レンコンのきんぴら食べたいな~」と嘆いていたら(NZはレンコンがないと思う)、冷凍のレンコンを見つけてきてくれて、レシピを探して作ってくれたり、ごはんに関しては私がこれ欲しい!!と言ったものはすべて叶えてくれました。
私が夜遅くまで働き始めた時、どんなに遅くても彼は寝ずに起きて帰りを待っていて「おかえり」と言ってくれました。
私はきっと受け取り上手。
そしてTは、与え上手。
彼が全く無理せず、むしろ喜んですべてのことをしてくれていることを私は知っていました。
そしてそれは、見返りを求めての下心ではなく、ただただこうしたい!の無償の愛だったことも。
私の誕生日。
日付けが変わった瞬間、部屋に帰ってきたTは
「おたんじょうびおめでとう~♪」
と、日本語でhappy birthdayの歌を歌ってくれました。
普段鼻歌さえ歌わない彼が、PCで日本語のそれを検索してくれて、練習したんだそうです(PC画面を見ると日本語の動画画面が!)。
バースデーケーキは、私の大好きなケーキを2台も焼いてくれて、日本語で名前を書いてくれて。
そしてその私の誕生日翌日、彼はNZを去って行きました。
「ボーイフレンドと素敵な旅を!」と残して。
空港まで見送りに行くと言ったら「僕が来て欲しいから」と空港バスのチケットをくれて。
最後のお見送りは、これほどないくらい寂しかった。
「僕がNatsumiと出会うのが遅かった、それだけだよ。」
と言い残し、去ったT。
どれだけ「ありがとう」を伝えても伝えきれないってこの状況か、と新しい気持ちを学びました。
感謝しても、し切れない。
ニコちゃんに会いに。
その1週間後にビッグファミリーの住むホステル生活に別れを告げ、私はニコちゃんの待つオーストラリアの片田舎へ飛びます。
約半年ぶりに、3日間しか一緒にいなかったニコちゃんとの再会。
今まで電話でしかやり取りができなかったので、直に会えた喜びはひとしおでした。
便利なオークランドとは打って変わって、車がなかったら絶対に不便そうな場所。
上空から見下ろしたオーストラリアはワイルドすぎて、あー完全にステージが変わったなという自覚(自覚て。笑)。
しかもそこは、暑いときは気温が45℃とかまで上がる超絶暑い場所で。。
ニコちゃんは今まで暮らしたバッパーを出て、私と暮らすアコモデーションを借りてくれていました。
私に不自由をさせないように、快適に住んでもらえるようにと、食べ物も住まいも、何もかも与えてくれました。
本当にありがたかったし、やっと会えた喜びを噛みしめて暮らしました。
オーストラリアで会ったニコちゃんの友だちはみんな、私の名前を知っていて。笑
「わーーー!!本物のNatsumiだー!!!!」
と、まるで芸能人になったかのような扱いを受け、とてもあたたかく歓迎してくれました。
ニコちゃんとの生活はとても幸せで、会えなかった期間の方が多いのでそれを埋めるかのように。
一緒にいられる喜びと、ナチュラルに自然体でお互いいられる喜びと。
でも。
私はだんだん、スマホの向こうではなく、現実にいるニコちゃんを知ることになります。
すべてここに記すのは不可能なんですが、私が絶対的にやめてほしいことを、彼はやめられなかった。
うーん、私の考えと彼の考え、感じ方の相違(人間だから、そんなのあって当たり前なんですが)。
それに加えて、ニコちゃんがこんなに短気だってことを初めて知り。
すぐ怒るのは、自分の感情にウソをつかない国民性でもあるんですが。
それにしても、あまりにもしょーもないことで怒りすぎだと(そう言いながらも面白くて、ニコちゃんの天然シリーズ記事書いてましたけどね。笑)。
私にあたってくることは絶対にないので安心してください、彼は勝手に一人でキレてるだけなんです(独り言が大きい人みたいなニュアンス)。笑
イタリア人は「女性を大切にしなかったら親に叱られる」教育がベースになっているので、対女性には特に優しいですよ。
ただただ平和を好む私にとって、これが延々と続く未来を想像してしまったら耐え難くもなりました。
怒っている人の波長に、笑顔や楽しさを消されたくない。
勿論、私の気持ちを伝えましたが
「怒ってないよ?」
と、本当に怒ってないらしいんです。
飛び出す。
そんなある日。
またまたニコちゃんがキレ始めた時に。
なんだか悲しすぎて、辛すぎて。
まだ親しい友だちもいないこの場所。
どこにも持っていけないこの気持ち。
私は思わずトイレへ逃げ、スマホを取り出し。
私がヘルプ!を出した相手はTでした。
自分でびっくりしました。
もうTに頼らず自分の道を自分の足で歩いて行くと決めてオーストラリアへ来たのに。
たった3週間で、私はTに助けを求めていたんです。
「How can I help you?」
すぐさま届いたTのたった一行のレスポンスに、人柄がにじみ出ていて。
この時、彼はインド行きの飛行機に搭乗する直前だったそうです。
その後。
私自身はっきり自分の気持ちを説明できないままでしたが、Tは心のアンテナで私の心を読んでくれたのかなんなのか。
シンガポール行きのチケットを私にプレゼントしてくれました。
約1ヵ月のオーストラリア生活に別れを告げ。
ニコちゃんにバイバイを告げ。
ニコちゃんは私の気持ちを理解できないようで悔し泣きをしていましたが、私は自分が決めたことを曲げない頑固な性格なもので。
ニコちゃんが、もしかして私が、もう少し大人になれたら一緒になれるのかな、なんて思いながら。
まさかの再会
シンガポールで再会したTは私があげたTシャツを着て、私に何も聞かずに「おかえり」ってハグしてくれました。
私のことが心配で、インドを観光するどころじゃなかったらしく(本当にごめんね)。
あの時の、なんともいえない安心感と、いろんな事象に対しての申し訳のなさは忘れもしません。
1ヵ月ぶりに再会した私たちは、シンガポールとマレーシアの2国を一緒に旅しました。
東南アジアを何度も訪れているTの案内で観光させてもらい、いえ、観光というよりは暮らすように旅する、そんな感覚でした。
Tには本当、心から感謝しかありません。
この時私は、これから先のことも同時に考えていて。
ワーホリビザがあと半年くらい残っているのでNZに戻ってもいいし、このまま東南アジアをめぐって旅をしてもいいし、はたまた日本に帰るって選択肢もあるし。
色んな選択肢がある中で、私は何を選ぶだろう?
Tとの毎日は、ホステルで過ごした頃に戻ったみたいで、ほっと心休まりました。
ケンカも勿論したけれど、あの頃よりもお互いに近い関係になれたような、そんな優しい時間でした。
しかし。
せっかく呼び寄せてくれて再会できたのに、
Tはずっと私の答えを待ってくれていたのに。
あいしてるよ
私が選んだ道はまた、
「別々の道へ行こう」
でした。
・・自分で書いていてもどかしいです。
なんでこの時、思い切って胸に飛び込まなかったんだと!!!
ある日、Tは私に、
「僕は、旅を辞めようと思ってるんだ。
きっとね、亡くなったNatsumiのお父さんは心残りがあると思うし、僕の苗字はドイツではありふれているから。
もしも結婚したら、僕がNatsumiの苗字になって日本に住むっていいね!
EUの国はパスポートを2国分持てるから、Natsumiは日本のパスポートをキープできるよ!」
ここまで言ってくれていたんです、Tっていう人は。
なのに私は、「荷物を持ってくれなかったから」なんてくっそしょーーーーーもない理由をつけて、彼から離れたんです。
「ひとりになりたい」だなんて言って。
嗚呼、どこまで女王気取りのわがままな自由人なんだろう。
いい加減、書いていて吐きそうになってきました(真剣)!!!
でもね、私後悔はしていません。
この時の私の”生きた答え”が「別々の道」だったから。
Tは、
「とても悔しいけれど悲しいけれど、Natsumiが決めた道なら尊重しなきゃね。
わかった、僕は去るね。」
と、数日後の飛行機で故郷へ帰りました。
バイバイの朝に、寝てる私の隣で書いてくれた手紙を、帰る直前に渡してくれました。
Tから初めてもらったその手紙は、今までもらったどの手紙よりもあたたかくて強くて苦しい文章でした。
本当に本当にこれがバイバイの直前。
駅の改札前で、Tは涙ぐみながら私をぎゅぅぅぅぅぅぅぅーーーーっと抱きしめて、
「あいしてるよ、〇〇(私のフルネーム)」
と言い、見えなくなるまで笑顔で私に手を振り続けてくれました。
私って、いったいなんなんだろうなって。
なにやってるんだろうって。
一人になったマレーシアの夜。
Tがとってくれたオシャレなツインルームは、一人で過ごすには広すぎて。
「持ってくれなかった」と告げたスーツケースに入ってた洋服たちを、ごみ箱に収まりきらないくらいごっそり捨てた。
私、辛い状況フェチなんかじゃないんです。
傷つけたいわけでもさらさらない。
あの時の私は、なにもかも決めきれなかったんです。
決めきれないからって、大切な人を傷つけて、自由を選んだ。
浄化しよう
そこから私の一人旅、本当にひとり旅がスタート。
もうTもニコちゃんもいない。ビッグファミリーもいない。
ずっと行きたかったアンコールワットも見られて、行きたかった東南アジア諸国をめぐって。
その旅を経て、自分がどんどん浄化されて行くのを実感しました。
そんな旅の最中。
久しぶりにニコちゃんから連絡がきた。
「元気にしてる?僕は、この間突然おじいちゃんが亡くなったと聞いて、とても落ち込んでるよ。
毎日毎日Natsumiに会いたいと願っています。
せっかく会えたのに、悲しい思いをさせてしまって、本当にごめんね。反省しています。
もうすぐ僕はワーホリを終えて、イタリアへ帰る予定です。
もしも許されるのなら、僕ともう一度一緒にいてくれませんか?
本当にもしも、もしもNatsumiさえよければ、イタリアついてきて欲しい。」
あまり長い文章を書かないニコちゃんが、一生懸命考えて言葉を選んで伝えてくれたのが手に取るようにわかるメッセージが届きました。
一人になって、旅をする中で、私がどう思ってるのか感じようとし。
たくさんの選択肢がある中で、この時私が出した答えが、
「もう一度だけやり直してみよう。イタリアに行ってみよう。」
でした。
私はいつも、私の直感を大切にする。
直感だけは嘘をつかないから。
とはいえ、この時はさすがに迷いがありました。
あの時、私からニコちゃんの元を離れる決断をしたから。
でも。
今しかできないこの選択をしなかったら、未来の私はもしかしたら後悔するかもしれないと、そう思った。
なので、イタリアに行ってみる道を選びました。
私たちが再会の場として選んだのは、いつか行ってみたいと思っていたバリ島。
ちょっと久々に会うニコちゃん。
ワーホリを終えた達成感が顔ににじみ出ていました。
ニコちゃんがピン!ときて手配してくれた宿は、造りがとても素敵でのんびりとするのにぴったりな場所でした。
バリの風に吹かれ、ナチュラルライフを一週間過ごしました。
イタリアへ、そして。
そして、初めてのイタリアへ。
ニコちゃんのご家族が大歓迎してくれて、まるで家族のように迎え入れられて快適に3か月間過ごさせていただき(イタリアライフはブログ記事が多かったですね)。
イタリアの観光ビザは、90日がギリギリいっぱい。
”さて、この後どうする?”
ここでも決断を迫られます。
今回はひとりではなく、ニコちゃんと一緒に迷い悩みました。
ここでももちろんたくさんの選択肢がありましたが、私たちが下した決断は
「一緒に日本へ帰る」
という道。
この時オーストラリアへ移住も選択肢にありましたが、うまくまとまらず”呼ばれてない感”満載でした。
決断通り、私は約1年ぶり、ニコちゃんは初めての日本へ。
出発したあの日、まさかイタリア人彼と一緒に帰国するなんて、どう考えても想像つかない未来が待っていました。
「ニコちゃんの家族にしてもらったように、私もニコちゃんへ恩返しがしたい。」
そんな気持ちで私の家族と共にお出迎えし、ニコちゃんは約2か月うちに滞在。
私がイタリアで経験したように、ニコちゃんもまた、日本のすべてが新鮮だったと思います。
決断の時。
11月にバリで再会してから4月に至るまで、実に5か月毎日一緒に過ごしたパートナーのニコちゃん。
出会ってから数えると1年2か月の期間を共にした人。
実は、先月ニコちゃんとお別れをしました。
切り出したのは、また私です。
きっと読者の皆さんは、
「どうして?」
と思ってくださっているかと思います。
その質問に、もしも一言で答えるとすれば
「私がある決断をしたから」
なんです。
この決断は、軽い気持ちで下したわけではなく。
もっともっと大きな力が働いているものと確信しています。
突然のお告げ。
ニコちゃんが帰って2週間くらい経った4月下旬のある日。
ほんとにほんとに、ほんとに何故か?理由はわからないのですが、言葉が突然降ってきたんです。
「早く、なるべく早く。
Tに謝らなくちゃ。
Tにごめんね、って言わなくちゃ!」
目が覚めるようなお告げのようなものでした。
別に、Tの写真を見たとか名前を聞いたとか、全くありません。
突然、Tの存在が頭によぎったんです。
それは、25歳の私に突然、
「NZに行かなくちゃ!!」
と降ってきて、それからお金を貯めるべくすぐに副業を始めたあの時とよく似ていて。
ごめんね、か・・
でも私、もうTの連絡先を知らないし、Tは新しい道を歩いているだろう。
降ってはきたけれど、すぐに実行することは出来ず、心を保留にしていました。
そのすぐ後、出会いからとても縁が強い友だちが、大阪から遊びに来てくれました。
帰国後初めて会ったのですが、彼女は私が海外行ってる間ずっとこのブログを楽しく読んでいてくれたようで(ありがとう♡)。
開口一番の彼女の言葉が、
「私は絶対絶対Tを推してた!!
イタリア人が出てくる隙、どこにもなかったやんー!!
なんであそこでTを選ばへんかったんか不思議やった!
あんなに尽くしてくれて大切にしてくれる人、なかなかおらんで!!」
つい最近降ってきた言葉の話なんてしてなかったのに、こんな短期間でまたTの名前を聞くことに。
彼女が無意識に放ってくれた言葉は、なんだか私の背中を押してくれるために、目には見えないどなたかが言わせてるんじゃないかと思うくらい力強く、心に残る一言でした。
そのあたりから何故か私は体調を崩し、ほとんど食べられなくなりました。
特にその直後の新元号「令和」前後はエネルギーの切り替わりなのかなんなのか、私だけでなく家族全員原因不明の体調不良。
令和2日目に、私をホステルハウスキーパーに推薦してくれた韓国人Sから
「久々に電話しようよ」
と誘われ、電話で話しました。
Sは今でも頻繁にTと連絡を取り合っている仲(+私の3人でいつも一緒にいたんです)。
私が「最近Tはどうしてるの?」と尋ねると、Sから信じられない一言が。
「今Tは東南アジアにいて、今月中旬にドイツに帰国するらしいよ」
え、待って?
そんなことある??
なぜこんなに私がびっくりしたかというと・・
Tは1年間の内、基本的にクリスマスの2~3週間しか帰国しないんです。
Sが言うに、突然妹の結婚式が8月に決まり、それまでの間を家族と過ごすべく帰国するんだとか。
どこをどう考えても、私に「謝らなきゃ!」の言葉が降ってきてから、シンクロが起こりまくりです。
「Sお願い、Tの住所教えて。
私、Tに手紙を書かないといけないの。」
今から書いて出せば、ちょうど帰国する直前くらいに届く。
Sと私はずっと心の友のような存在で、Sの今のガールフレンドとは、私とTがキューピッドになったようなもの。
私の動向はSもよく知っていて、今回のことを話すとSは自ら喜んで協力してくれました。
それで私はT宛てに、実に7枚という膨大な量の文章を書きました。
不思議なもので、「ごめんねって言わなくちゃ!」というシンプルなきっかけで書き始めたのに、言いたいことや伝えたいこと、私の想いが溢れて止まりませんでした。
私の人生って、いつも誰かに何かを与えてもらってばかりな気がします。
でもね、私の人生で初めてでした。
「この人になら、誠心誠意をこめて何でも差し出せる。この人の支えになりたい。」
って思ったのは。
物質的にも精神的にも、もう私の近くにいないT。
だけど、そんなTに対してこんな強烈な想いが溢れ出てきては、もう私はニコちゃんと一緒にいられない。
いや、正確にいうと「いられるけど、それは本物の私じゃない」といった感じに近い。
この先、私が黙っていたらニコちゃんは絶対に知らないし想像もしないだろう。
この先、私が普段通りにしていたら、ニコちゃんは変わらず大切に思ってくれるだろう。
この先、私が何も変えなければ、ニコちゃんは変わらず愛してくれるだろう。
この先、私が今ある環境に満足するなら、いつかニコちゃんと結婚したりする未来だってあるだろう。
ものすごく迷いました、これら以外にもたくさん浮かんで。
でもね、でもね、
絶対に違うなって思ったんです、思ってしまったんです。
だって、これらの全部、私の心のどこかに絶対にフタをしていないと成り立たないから。
フタをした私の心なんて、100%の私じゃないから。
「私たちはそれぞれ別々の道を選ぼう。」
私がニコちゃんにそう切り出すまで、結構な日数を要しました。
ニコちゃんの屈託のない笑顔を見ると毎日言えずにいて。
でも、私が下した決断は不動のものです。
言ってもし後悔すると感じたら、絶対に言わない。
ニコちゃんは、
「気付いてたよ、だって、いつも僕から電話かけてたじゃない。」
ごめんね、ニコちゃん。
知らず知らず、行動に出ちゃってたんだね。
ニコちゃんがいたから出来たこと。
ニコちゃんがいなかったら出来なかったこと。
いっぱいもらったよ。
私の人生初めての外国人彼氏。
言葉の壁なんて、気持ちがあれば簡単に飛び越えられることを教えてくれた人。
私を家族の一員にしてくれてありがとう。
たくさん世話を焼いてくれてありがとう。
全部夢みたいなのに現実で、ありがとう。
私が思う、「迷い」と「決断」
このように私は、この一年間の間でたくさん迷い、たくさん決断せざるを得ない出来事に出会いました。
何度経験しても慣れない、迷いと決断。
しかしそれらは、
「真剣に自分のハートと向き合い、答えを出す」
ということが、いかに自分が欲した未来を彩ってくれるかを知る貴重な機会です。
読者様や、ここまで読んでくださった皆さんは既にお感じかと思いますが、私はあまり「先を見通した上での決断」に興味がありません。
何故なら、「今」を生きている私のハートを置いてけぼりにしてしまうことになるからです。
”過去”も、”現在”も、”未来”も、
時間枠ではすべて「今」の積み重ねですもの。
いつ何時も、「今」の自分が主人公。
だから私はこれからどんな場面に遭遇しても、今の自分と向き合って迷い、決断をしていきます。
そうすれば、絶対に後悔しないから。
迷い、決断した私をいつも尊重できると思うから。
私の「迷い」と「決断」について、長々とお読みいただきありがとうございました。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします♡
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