日本語ONLY!NatsumiのギリホリLIFE

2018.3.1~、ニュージーランドはオークランドにてワーキングホリデーを始めました!英語は、文法めちゃくちゃ、知っている単語を並べることしか出来ません!But,私コミュニケーション力だけはあります!言葉が通じない環境でどれだけ自分が成長できるか、試してみたいと思います♡

真の豊かさ。

ランキングに参加中♡↓のバナーをクリックお願い致します♡ にほんブログ村 海外生活ブログ ワーホリ(ニュージーランド)へ
にほんブログ村

25日がクリスマスですが、今日23日からもう既にクリスマスムード♡



今日からお休みに入ったマンマが朝からお掃除をし、お買い物に行き、クリスマスに備えているようです!



f:id:blue723moon:20181223210259j:plain







さて、クリスマスとは関係のない話なんですが。





イタリアに住んでても、以前からのクセで日本のニュースはチェックしてます。



芸能ネタはほとんど興味ないのでついていけません。笑






最近、私が熱くなったニュースがですね。




「南青山に児童相談所を建設予定で、住民が反対している」




っていうあのニュース。







私、学生時代に保育や福祉関係を専攻していたのもあり、子どもに関するニュースに敏感です。







皆さん、あの映像御覧になりましたか??




区の説明に対しての反対派の意見。







あれを見て、私はとてつもなく情けなくなった。




何て表していいかわからないけれど。




怒りでもなく悲しみでもなく、「憤り」、なのかな。







反対派の方々の意見をじーーっと聞いてたんですが、まー酷い。





ここまで醜い日本語の並びって、なかなかないってくらい、醜い。








南青山は、一等地です。




ハイブランドのショップが立ち並び、洗練された街です。




豊かな街です。






そう、「豊かさ」に溢れた街






・・・だと思っていました。






でも、反対派の方々の醜い心の内を聞いたことで、到底豊かさとはかけ離れた街なんだと認識せざるを得ませんでした。









私が尊敬する、ココ・シャネルの名言




There are people who have money and people who are rich.


「世の中には、お金持ちな人と豊かな人ってのがいるわ」







これ、私が大好きな言葉です。




つまり、”お金持ち”と”豊かさ”ってのは、まったく別ってこと。







私なんぞ、まだまだ短い人生経験ですが、今までの仕事柄「お金を持っている方」と接することが多かった。




その中で、私が得た気持ちそのままの言葉が存在してるんだなー、って。








世の中、「お金持ち」と呼ばれる人はたっくさんいます。




でも、その中で「豊かな人」の割合は、私が思うにそう多くはない。






”お金を稼ぐ能力”ってのは、自分の才能をフルに生かしてお金に代えるということ。




そのために、何かを犠牲にしていたりもするわけですが。







その能力と、”豊かさ”ってのは、決して一緒にできないもの。




お金があるからといって豊か、という方程式は成り立たないのです。







本当に豊かな人ってのは、真の意味で「富を惜しみなく分け与えられる人」。




”分け与える幸せを知っている人”だと思います。






豊かな人は、求めない。



エゴに走り、自分の利益だけを考えるようなことはしない。






だって、豊かな人は”愛が循環すること”を知っているから。




与えた愛は、別の形でいつか必ず返ってくる。




でも、それを初めから求めて行動しない。





相手のことを、自分のことのように扱う、感じることが出来る人。










それからもう一つ。





Some people think luxury is the opposite of poverty. It is not. It is the opposite of vulgarity.


「贅沢を貧乏の反対と考えている人がいるけれど、違う。贅沢とは下品さの反対なのです。」





こちらも同様、ココ・シャネルの言葉です。








まさにその通り。





真の贅沢とは、品格あってのもの。




品格の伴わない贅沢など、贅沢なんかじゃありません。





それは、ただ下品なだけ。








この2つの名言をシェアさせてもらいます。




今回のこの問題を拝見して、久々に彼女の名言を思い出したわけです。








私は決して、”反対派であること”に憤っているわけではありません。




賛成意見、反対意見があって当たり前。







反対意見の中に、



「わざわざこの一等地を使わなくても他にあるだろう」



という意見がありましたが、これは私もわかります。






税金である100億円を使って建設するとのことなので。




確かに土地代のもっと安い場所に造ればその分の税金を子どもたちの支援のために企てることができるのかも知れないとも思います。







でも、彼らはこの理由で反対しているわけではない。




「施設の子どもたちが、あまりにも幸せそうな家庭を見て、ギャップを感じるのではないか」



「地域の子どもたちと同じ学校に通うのか?」



「非行少年からの安全性は守られるのか?」



「青山にそぐわない」



「街の発展のブレーキになる」



「街の価値が下がる」







今書いてても、同じ国民として恥ずかしくなってしまう言葉たち。






この人たちが、どんなに大きいお家に住んでいようが、どんなにお金持ちであろうが、




「なんて下品で、なんて心の貧しい人たちなんだろう」




ってことだけ。






この人たちがこの心を持ち続けて、豊かになれることなんて、絶対にない。




ご自身では上品な生活だなんて思っているのかもしれませんが、下品さが露呈するだけの結果に。









子どもたちが、いったい何をしたっていうのか。



いつの世も、子どもは宝。






悪いのは、私たち大人です。




かつては子どもだった、私たち大人です。




少なくとも、この施設に入る子どもに罪はない。






子どもは無力で、環境を選べない。





どんな親の元に産まれようが、どんな環境にいようが、



どの子どもでも、愛されたいって思ってる。





子どもは、愛されるために生きている。








自身に愛す力がなかった親の元へ産まれてきた子どもたちを、他の大人までもが突っぱねてどうするの?




格差を作っているのは、あなたたちのようなエゴに走る大人だってことに気付いていますか?




自分だけよかったらいい人の集まりなだけじゃないですか?




この報道を、そこに入所する子どもたちが見たらどんな気持ちになると思う?




何かしらの事情で、既に心に傷を負っている子どもに対して、傷口に塩を塗るようなもんじゃないの??




それって、虐待と何も変わらないと思うのは私だけ??







親が出来なかったら、周りにいる大人が愛を注ぐことで、その子どもは救われる。




命ってのは、みんなで守っていくもの。






震災大国日本に生まれ育っていながら、ここの人たちはそんな「お互い様」の気持ちまで忘れ去ってしまったんだろうか。




震災の時の日本の助け合い精神は、世界レベルで誇るべきものなのに。









気付けばついつい熱くなってしまいましたが!!




言いたいことは山ほどありますが。





この報道を見てから、児童の問題について動画を見たり考えたりしています。







「私にできることって、何だろう?」




みんながそう考えられたら、絶対に世界が変わる。







醜い大人たちの言葉にひどく心を動かされ、私が新しい窓を開けるきっかけになるような。




そんな気がしています。